たまプラ一座 代表 林月子さんインタビュー

サックスをしまう林月子さん

たまプラーザ(横浜市青葉区)の街を舞台に、人を巻き込んで楽しんでいる人にインタビューをする『ロコっち』との共同企画「楽人」。

5回目は、たまプラーザの街を舞台に、老若男女でダンスや楽器演奏なで、まちと人、人と人をつなぐ活動を行っている『たまプラ一座まちなかパフォーマンスプロジェクト』の代表 林月子さんです。

サックスを演奏する林月子さん
対談する林月子さん
説明する林月子さん

幼い頃の親戚の集まりが原点

藤村 希

まちなかパフォーマンスを始めたのは、音楽が好きだからですか?

林 月子

もちろん、音楽が好き、というのはあります。でも、最近これが原点だ!という体験を思い出したの。

小さいころ、お盆とかお正月に母の実家に親戚が集まる。母が8人兄弟だったのでものすごい人数で。私は一人っ子だったので、そのにぎやかな集まりが大好きだったんです。

その集まりの時に、みんなが芸や得意なことの披露をするの。ピンクレディーを歌う子、手芸品のワークショップのようなことをやる子、おじいちゃんが詩吟を披露したり、お父さんが手品をしたり、お母さんが日本舞踊をしたり。私は近くに住んでいるいとこと、人形劇をやっていました。古着とか布とかをもらって人形を作って、ストーリーも自分たちで考えて。

まちなかパフォーマンスは、地域の皆さんとこれをやっているのかも。

多世代が、それぞれできることを持ち寄って、手作りでやる、そしてそれが楽しい、っていうのはまちなかパフォーマンスそのものなんですよね!

藤村 希

子供の頃から今のような活動的なお子さんだったのですか?

林 月子

実は全く違って、引っ込み思案の子だったんです。人前でしゃべるのが苦手だったの。転機は小学校のPTA会長をやったことですね。

最初は不安でしたが、場数を踏むことでだんだん苦手なことがそうではなくなっていきました。

たまプロ新聞くんより

たくさんの人が関わっている『たまプラ一座』の代表をしている林月子さんは、パワフルで感情豊かな人で、話を聞いていて楽しかったし、元気が出た!

最後は、ご自身の子供の頃と子育てについて話してくれた。「我が子たちの反抗期はむしろ嬉しかった」そうだ。その理由は『ロコっち』の記事を読むと分かるよ。

林月子さんとロコっち藤村希さん

撮影情報

カメラ
レンズ
撮影地
3丁目カフェ