あざみ野の歴史
~郷土史の魅力を知った街~
横浜市青葉区

牛込の獅子舞

田園都市線開業に遅れること11年、1977年(昭和52年)5月に「あざみ野駅」が開業。人家も少なく、雑木林と野っ原が広がる自然豊かな丘陵地に「あざみ野」という新しい町が誕生した。

あざみ野
東急電鉄の田園都市線と、横浜市営地下鉄ブルーラインが乗り入れる街。横浜市北部に位置する。[詳しく
驚神社の狛犬
驚神社(あざみ野)

足元暗し、驚きの祭

自分が美しが丘5丁目に移り住んだのは、その4年後のことである。

そのから40年になるが、その半分は外にばかり目が向いていた。物心付いたときからの歴史好き。それが嵩じて、自分で稼げるようになってからは旅から旅、全国行脚の史跡巡りが趣味となった。山城をよじ登り、古街道をひたすら歩き、城下町、宿場町の残り香を味わいながら酒を呑み、お国言葉で語られる昔話に耳を傾けていた。

全国500の山城を攻略し、ひと息ついた頃、地元の祭りに動画の撮影スタッフとして参加しないか…と声がかかった。祭りはあざみ野にある古い神社の例大祭だという。

平崎橋の祭り行列

平崎橋から神輿行列スタート

その名は驚神社おどろき じんじゃ。全国どこを探しても見つからない唯一無二の神社名に驚かない人はいない。自分も初めて聞いた時は冗談で言っているのかと思った。しかし、その歴史と名前の由来を知った今では、オ・ド・ロ・キという響きが心地よく感じるほど誇らしい。(神社名の由来については後述)

10月10日、体育の日の午前11時、神輿行列のスタート地点である平崎橋の交差点で待機していると、たまプラーザ方面から坂道を下ってお神輿の集団がやってきた。軽快な祭囃子、千草色(ブルー)の祭半纏は平川地区のお神輿だ。

すると、反対方向からも笛太鼓の音色。振り返ると、柿色の半纏を着た集団は、荏子田地区のお神輿。続いて南からは白い晒に紺柄の半纏、驚神社のお膝元である宮元のお神輿だ。

ドーン!ドーン!大太鼓を打ち鳴らしながら現れたのは、保木ほうぎ(現 美しが丘西)の太鼓連だ。さらに、船頭地区(元石川町)のお囃子が合流すると、道路の真ん中で神輿の喧嘩が始まった。見物人も含めると数百人はいるだろうか。「さどや」というスーパーの前、それほど広くもない空間が、たちまち祭りの熱気と喧騒に包まれた。

あざみ野駅予定地
あざみ野駅予定地 1976年ごろ(山内図書館所蔵)

な~んて冷静に解説しているが、初めて目の当たりにしたこの瞬間、頭の中はカオスと化し、カメラを構えるのも忘れていた。

正午、集団が動いた。保木の大太鼓を露払いとして、各地区のお神輿お囃子が隊列を組んであとに続く。

途中で待っていたのは華やかな衣装を身にまとった三頭の獅子。江戸時代から続く伝統芸能「牛込の獅子舞」の一団だ。舞子は牛込で生まれ育った少年たち。ひとりが一頭の獅子を演じるこの獅子舞は、(一人立ち三頭獅子舞)(三匹獅子舞)と呼ばれ、関東地方から東日本に広く分布する。この牛込の獅子舞と、鉄町に伝わる「古典獅子舞」がその南限で、どちらも横浜市の無形文化財に指定されている。

彼らを真ん中に向かい入れると、行列は旧道を通って賑やかに驚神社へと向かう。

「なんで気づかなかったんだ」ビデオカメラを片手に行列を追いかけながら、後悔と情けなさに包まれていた。他人の街の祭りにうつつを抜かしていたせいで、自分の街の祭りを見落としてしまっていた。昭和40年代に誕生した新興の街に歴史も文化もないだろう…と、高をくくっていたのだ。人が住んでいれば、どんな街にも歴史がある。そんな当たり前のことすら見失っていたのだ。

それから猛勉強が始まった。図書館に通い、郷土資料を片っ端から読みあさった。知り合いの地主さんが経営する居酒屋の常連となり、週二日三日と通って、地場産の野菜を味わいながら酒を呑み、端切れのいい多摩弁で繰り出される昔話の数々に耳を傾けた。

そして、衝撃の歴史書『山内のあゆみ』に出会う。新石川在住の郷土史家・横溝潔氏の著した。

》へ続く

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