東日本大震災の日
東北にいた全日本プロレスとの記憶(横浜市)

「ガーン!ガーン!ガンガンガンガンガン!!」
取材で訪れていた、すすき野(横浜市青葉区)のマンションのエレベータが大音響と共に揺れた。
「地震だ!」

全日本プロレスと地元タウン誌の出会いからの続き

エレベーターから脱出

慌ててボタンを押し、3階フロアに転がり出た。そのまま階段を駆け下りて外に出ると、目の前に停めてあった車が大きくバウンドして、その上の電線は縄跳びのロープのようにくるくる回って揺れていた。

宙に浮いているような、酔っ払っているような…そんな不思議な感覚に襲われながら、50メートル先にある嶮山公園(横浜市青葉区)まで走った。これまで経験したことのない地震。公園には慌てて飛び出してきた近所の人たちが大勢、不安げな表情で佇んでいた。

すぐに自宅に連絡を取り安否を確認。無事を確かめ、ホッと胸をなでおろし会社に戻った。しかし、その時その瞬間。想像を絶する恐ろしい悪魔が東北の地を飲み込もうとしてた…なんて、誰が想像できたであろう。

夜、家に帰ってテレビのニュースを見た時の衝撃!映像が現実のものだと認識するのにしばらく時間がかかった。そして、宮城県沖が震源だと聞いた瞬間、昨日の浜ちゃんの言葉がよみがえってきた。

2011年3月9日、三陸沖地震

3月10日の晩、浜ちゃん(浜亮太選手)たち三人と近所の居酒屋で一緒に飲んでいた。東北遠征のため、翌朝バスで宮城県の石巻に行くのだという。

「地震が続いてるじゃないですか。ちょっと怖いんですよね」
生ビールを飲みながら、浜ちゃんがボソッとつぶやいた。

3月9日夜、東北で地震があった。震源は三陸沖、マグニチュード7.3の大きな地震だ。その後も小さな余震が連続していた。不安を払いのけるようにジョッキをあおる浜ちゃん。いつもの陽気さはない。早朝の出発ということで、その日は早めにお開きとなり、3人そろってひと足先に寮へと帰っていった。

大地震のとき、仙台南部道路上

その不安が現実となった。

津波のニュースを見ながら、KAI君にメールを送った。その返事はすぐに返ってきた。

「全員無事です」

安堵のため息が出た。カミさんが隣で涙ぐんでいる。

その後のやり取りで、地震が起きた時(2011年3月11日 14:46ごろ)に高速(仙台南部道路)の上を走っていたこと。高速は降りたが、余震もあり、情報が無いため今はバスの中で待機しているということ、まわりは田んぼだということ…を教えてくれた。

仙台南部道路
宮城県仙台市内を東西に通る有料の自動車専用道路。仙台東部道路と東北自動車道を結ぶ。

高速道路がぐにゃぐにゃ変形するほどの大きな揺れだったこと、水道管が破裂して水が吹き出したこと…といった話は後で知った。時間が少しでもずれていたら…と考えるとゾッとした。選手たちはそれこそ生きた心地はしなかっただろう。

全日本プロレス 道場のリング

2011年3月12日

翌朝、道場(横浜市青葉区)に行ってみると、玄関を出てくる武藤敬司社長と出くわした。社長はバスではなく新幹線で向かう予定だったという。

「みんな無事で、今こっちへ向かってる。たぶん、今夜遅くには帰ってこられるんじゃないかな」と、状況説明を受け「帰ってきた時、腹減ってるだろうから、これからうちの奥さんと娘を呼んでカレーでも作らせようと思うんだ」と告げられた。

ならば!…と、家にいるカミさんに連絡して炊き出しを手伝わせることにした。

聞けば、寮は女人禁制だという。だが、「今日は特別」と、武藤さんも承知してくれた。

自分は仕事があって手伝うことが出来ないので、近所の肉屋さんに飛んで行ってメンチカツを大量に仕入れて持っていった。

夜、被災地から全員無事に帰還した。自分もカミさんも、その場には立ち会えなかったが、10日後に両国国技館で行われた大会に駆けつけ、彼らの無事を喜んだ。

東北地方太平洋沖地震チャリティー大会

『2011 プロレスLOVE in 両国』の開催にあたっては賛否両論があった。

震災からわずか10日の3月21日、計画停電も行われている中、電力を大量に使うプロレスの試合は如何なものか。他団体の大会も軒並み中止になっていた。今考えれば、よく開催できたと思う。しかも、選手のほとんどが被災者でもある。

「いや、被災したからこそ、やる意味がある!」

諏訪魔選手がそう宣言した。他のメンバーも「東北の被災者に元気とパワーを送りたい!」と、次々に声をあげた。全員の心がひとつになっての開催だった。

当日は『東北地方太平洋沖地震チャリティー大会』と銘打たれて行われたこの大会。試合前に全選手がリングサイドに集まって黙とうを捧げ、試合前と試合後には、義援金のための募金活動も行われた。

節電対策のため電力供給車も配備、照明も、いつものような派手な演出も抑えられていたが、熱く燃える選手たちのハートで、会場はいつにも増して明るく輝いていた。

そして、彼らの熱い戦いは詰めかけた大勢の観客の心を揺さぶり、国技館はまさに感動の坩堝と化した。

感動をありがとう!勇気をもらった!なんていう安っぽい言葉は使いたくないが、試合後、目頭が熱く腫れ、喉が枯れていた。

この大会の意義は大きい。震災以後、日本中に重く垂れこめていた不安と閉塞感に強烈なパワーボムを食らわし、人々に前向きに生きる勇気と元気を与えたことは間違いない!と、自分は確信している。

プロレスは、人間の体を極限まで鍛えあげた肉体による究極のパフォーマンスだ。

そして、その超人的ボディには、人々に元気を与える無限のパワーが詰まっている。

コロナ禍の今こそ、その究極のパワーを解き放ち、この閉塞した状況をふたたび吹き飛ばしてほしいものだ。

プロレスの伝説が息づく街・青葉区。我が愛するこの街に、そのパワーの源泉があることを誇りに思う。

おわり

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