自分が登戸駅(川崎市多摩区)に初めて降り立ったのも40年前…1980年代の半ばであった。
- 登戸駅
- 小田急小田原線とJR南武線が乗り入れる [詳しく]
向ヶ丘遊園駅まで商店がひしめき合う
なんの用があって降りたのか?どこに立ち寄ったのか…なんてことはまったく覚えていない。おそらく、思いつきで途中下車したのだろう。そんな朧気な動機にもかかわらず、その時に見た駅前の情景だけは、しっかりと網膜に焼きついている。
南武線の改札を出ると、すぐに6~7段の短い階段が横に広がっていた。その階段をトントンと降りると、目の前はもう商店街。喫茶店にパチンコ店、そば屋に八百屋、雑多な商店がひしめき合いながら、小田急の高架側にグルっと回り込み、そのまま線路に沿って隣の向ヶ丘遊園駅まで続いていた。
駅前広場はとにかく狭かった。その狭い広場にタクシー乗り場と宝くじ売り場、駅の乗降客と街に繰り出す人たちでにぎわっていた。もちろん、路線バスが乗り入れるスペースなどない。バスに乗る人は駅から200mほど東に離れた畑の近くのバス停まで歩かなくてはいけなかった。
トンネルを抜けると、昭和の街
駅前から小田急線の高架をくぐって西側に抜ける小さなトンネルがあった。現在も同じ位置に通路があるが、当時はU字のトンネル。その薄暗いトンネルを抜けると、昭和の街がそこにあった。こぢんまりとした飲食店が軒を連ねるどこか懐かしい街並み。名古屋を代表する繁華街「今池」と「大曽根」に挟まれた下町に育ち、東京都北区赤羽で先輩から酒の呑み方を教わった我が身としては、このような雑然とした雰囲気はたまらない。この日から「登戸」はお気に入りの街の一つに加えられた。
肉屋、果物屋、中華店、化粧品店、小料理屋…「どこに入ろうか?」物色しながら通りを歩いていると、知らぬ間にある建物の中にいた。通路の両側に花屋とか酒屋、飲食店などのお店が並んでいる。ぐるっと眺めながら進んでいって気がついたら反対側から表に出ていた。それが「多摩百貨店」と呼ばれるショッピングモールだと後で知った。「百貨店」という大層な名前がついているが、十数店舗、いわば商店街の中の小さな商店街である。
溝の口にも「百貨店」
昔は、「百貨店」の名が付いた小さな商店街が各地にあった。覚えているのは、溝の口にあった「ヤストモ百貨店」。東急電鉄「溝の口駅」と南武線「武蔵溝ノ口駅」の乗り換えルート上にあり、おもちゃ屋、ラーメン店、文具店、時計店、などが入居していた。乗り換えや溝の口の街に繰り出す際は、外側からではなく、あえてこの中を通り抜け、文教堂書店に立ち寄るのがお決まりであった。
ちなみに、「ヤストモ」は(靖国友の会)の略。戦後、傷痍軍人の厚生施設「靖友マーケット」として作られたのだそうだ。1999年、二つの駅と商店街をつなぐキラリデッキができると、ヤストモは消滅。駅前の風景も一変。当時のことを思い起こす寄す処(よすが)は何も残っていない。が、毎日が縁日のように活気にあふれていた、ヤストモの通りははっきりと思い出される。
話が大きく飛んでしまったので登戸の街に戻す。
《消えたお地蔵さま》へつづく