川崎市 登戸の再開発で、消えたお地蔵さま(北向地蔵)はどこへ?

再開発中の登戸駅前

今回は、登戸駅の近くにあったお地蔵さま(北向地蔵)について。

登戸駅
小田急線と南武線が乗り入れる。登戸駅南側の再開発が進行中。[詳しく
小田急線 登戸駅ホーム
小田急線 登戸駅の高架ホーム(2023年11月撮影)

多摩川百貨店のあった路地

現在(2023年)、お気に入りだった昭和の街は登戸駅周辺から跡形もなく消えてしまった。地域情報紙に連載していた「地名推理ファイル・津久井道編」の記事も、道路が付け替えられてしまったため、紹介した内容をそのまま使うことができない。ここは改めて散策し直すしかない…ということで、ドラえもんテイストの新しい登戸駅ホームに降り立った。

高架下のトンネル(現在は通路)を抜け、多摩川百貨店のあった路地を100メートルほど進む。ここで多摩川方面から来た道路が南武線の踏切を越えて合流する。この道が三軒茶屋から世田谷を抜け、多摩川を渡ってやってきた津久井道の旧道である。合流後は、今通ってきた路地がそのまま津久井道となって多摩区役所方面に延びていく。

現在、道路が付け替えられて交差点の形状が変わってしまっているが、当時は左斜め後から来た路地も合流し、変則的な四つ角になっていた。

登戸駅周辺のつく移動マップ

四つ角にあった覆堂はどこへ?

「あれっ?お地蔵さんは…?」四つ角にあった覆堂ふくどうほこら)が無くなっていた。覆堂には一体のお地蔵さんと、馬頭観音が祀られ、傍らに「北向き地蔵」と書かれた川崎歴史ガイドによる説明板が立っていた。いつ来ても新しい花が供えられているので、自分も前を通るたびに手を合わせるようにしていたのだが、そのお地蔵さんと馬頭観音が覆堂ごと姿を消していたのである。

周辺が更地になったときも残されていたので、どこかに移動されているに違いない…と、交差点のまわりを探してみたが、どこにも見当たらない。

区役所まで行って聞いてみると、「お地蔵さまなら、開発の際に光明院さんに移されたはずですよ」という答えが返ってきた。

華麗なる古刹・稲荷山光明院

せっかくなので、その足で光明院を訪ねることに…。光明院は県道3号(世田谷町田線)沿いにあった。住所は登戸1253、先ほどの交差点から西へ600mほど離れている。禅寺丸柿発祥の寺として有名な麻生区・王禅寺の末寺で真言宗豊山派の寺院、正確には「稲荷山光明院普門寺」という。室町時代後期に源空法印 (永禄9年寂)によって開かれたというから、460年近い歴史がある古刹である。

驚いた!古刹というから質素で侘び寂びのある渋い寺院を想像していた。それが、あに図らんや!色鮮やかな仁王門。龍や唐獅子、羅漢様の彫刻が施され、こちらも美しく彩色されている。その仁王門をくぐると、これまた日光東照宮のように極彩色に彩られた本堂が控えていた。彫刻一つひとつの美しさ、極楽浄土を思わせる美しい境内に目を奪われて、思わず来た目的を忘れてしまっていた。

北向地蔵と馬頭観音
北向地蔵と馬頭観音(2016年撮影)

「北向き地蔵」の理由

目的の「北向き地蔵」は向かって左側の太子堂前に置かれていた。ちゃんと北の方角を向いている。本来、お地蔵様は南向き(上座)に祀る。あえて北向き(下座)に配されたというのは、人々に寄り添い、願いや悩みを聞き受けて参拝に来た人々を救いたいという、より強い思いが込められているのだそうだ。

赤いフリルのついた真っ白な前掛け、新しい花も供えられている。今も変わらず地域の人たちに愛されていることにホッとし、目頭が熱くなった。

江戸時代からの「子育て地蔵」

お地蔵さまが建立されたのは江戸時代中期の1757年(宝暦7年)、蘭学者・大槻玄沢が生まれた年である。以後、「子育て地蔵」として登戸の人々に親しまれていた。ちなみに、お地蔵さまの前掛けは、子どもが病気にかかったときや、子どもの夜泣きがひどいときなどに、お地蔵さまに奉納してお祈りすると病が癒えるという伝承による習わし。子どもが丈夫に育つように…というお母さんたちの願いがこめられている。「世界中の子どもたちが笑顔で暮らせますように」真新しい前掛けのお地蔵さまにそっと手を合わせた。

「馬頭観音」もお地蔵さまの隣に仲良く移されていた。こちらの観音さまは登戸に代々住まわれている手塚さんという地主の方の個人持ちだったそうで、1827年(文政10年)に建てられた。なんと、大槻玄沢が亡くなった年だ。(偶然だが、発見したので書いてみた)

手塚さんの何代か前の先祖が登戸宿で働く馬子の総元締をしており、大事にしていた馬の霊を慰めるために庭に祀っていたのだという。観音さまには、馬子仲間の名前が刻まれていて、その中に八王子や府中の人の名もあることから、府中街道や甲州街道といった津久井道以外の諸街道とのつながり、宿場間を行き来する馬子たちの交流を偲ぶことができる。

石屋河岸と大丸用水》へつづく

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