二子玉川駅近く《兵庫島》の悲しい由来と歴史

旧国道246号からの兵庫島公園

二子玉川駅近く、多摩川にある兵庫島公園ひょうごじまこうえん(世田谷区)。その「兵庫島」の由来は、実は地名ではなく人名です。

二子玉川駅
東急電鉄の田園都市線と大井町線が乗り入れる[駅ガイド
兵庫島公園と沈む太陽

兵庫助と兵庫島公園

南北朝時代、由良 兵庫助ゆら ひょうごのすけは、鎌倉へ向かう新田義興よしおき(新田義貞の次男)に随従していましたが、多摩川で足利勢に襲われます。

甲冑で動きがとりにくい状態のまま、乗っていた船の底の栓を抜かれた新田義興と従者たちは、逃れられず自害に追い込まれました。由良兵庫助と由良新左衛門は、互いに首を切り合って果てたと伝えられています。

数日後、地元漁師たちによって、兵庫助の遺骸が見つかり中洲で葬られました。それから「兵庫島」と呼ばれるようになったそうです。

参考文献

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