デザインを探求する大学教員
あなたのふつうは?

大学教員 栗芝正臣

私たち栗芝・榮谷プロジェクトでは、「ふつうってなんだろう」をテーマに掲げ、仕事における”ふつう”にフォーカスしたインタビュー記事制作を行なっています。

初回は、私たちの活動を見守っていただいている栗芝先生のインタビュー記事です!

インタビュイー栗芝正臣
職種大学教員
メモ 私たちの活動を支えてくださっており、第一回を快く受けてくださりました。大学では、美大卒の経験を生かし私たちにデザイン学を教えてくださっています。学びに対する姿勢や柔軟な視点を持ち、柔らかな雰囲気を纏っている先生は学生達からも大人気です。
インタビュー風景
インタビュー風景

はじめに

本日はよろしくお願いします。さっそくなんですけど、大学教員というお仕事の1日の流れから教えていただけますでしょうか?

 そうですね。朝は6時には起きてますね。娘の準備と家事をしてから来るので、朝は時間がないです……。その後、9時前くらいに大学に着いて日中は基本、講義や次の講義の準備です。自宅に帰るのは8時くらいで、その後家事など一通り済ませて、23時くらいから次の日の講義の準備などをして24時には寝るっていう感じですね。

栗芝正臣先生の1日タイムスケジュール
栗芝先生の1日

大学教員というお仕事

日によって違うとは思うのですが、大学では講義中心の生活という感じでしょうか。

 講義と研究を行なっている感じです。最近では、講義と研究内容が同じこともあります。あとは、火曜日の午後は基本的に会議の日になっています。午後に先生方が全員集まって学部の方針を決めたり、入試などの運営について話したりします。だから会議の日の午後は専任教授の講義はないはずですよ。

そうなんですね!それは知らなかったです……。研究って大学教員の特有なもので、イメージだと発表や論文で、新しい技術を世に出す……という感じなんですけど研究におけるゴールってどのようなものなのでしょうか?

 工学系だと、新しい技術とか今までできなかったことができるようになったとかわかりやすいんだよね。だけど文系の場合は、「新しい解釈が生まれたとか今までこういうふうに考えられていたけど、こういう捉え方もできるよね」といったのがゴールになる場合が多いかな。もちろん、デザインの場合には新しいプロダクトを世に出すとか、新たなサービスを発案するというゴールもあると思います。。

期限などはあるのでしょうか?

 生涯研究だね。でも外部からのお仕事の場合は期限がついているので、その中で結果を出すことが必要だったりするかな。

仕事において大切にしていること

先生は研究が行いたくて大学の教員になられたのですか?

 学びの場、そのものに興味があったからかな。自分も学ぶことも含まれるけど、学びの場がどうやってできていくのか。そういうのを見てみたかった。あと、デザインを人に教えていくことに興味があった。

小中高という選択肢ではなく、それはなぜ大学だったのですか?

 まぁ小中高は教員免許が必要だからね。ただ、デザイン自体はもっと小さな時から学ぶべきだと思っているんだ。小さい頃からデザインを学んでいれば、世の中の見方が変わる。そうすると、いろいろな行動が変わってくるから、小さな頃から学ぶことが大切だと思っているよ。特に大切にするべきことは、観察することだね。なぜそういうデザインになっているのか? 大学生にもよくいってるけどそのような視点を持つことが大事だよ。

意識します!笑。人に何かを教える時に大事にしていることなどはありますか?

 学びは楽しいことだと思っているので、やらされているんじゃなくて、やりたいと思ってもらうようにすること。それを常に考えているかな。スライド一つとっても、どうすれば興味を持ってもらえるのか工夫をしている。いきなり理論から入らず身近な事例を持ってきたりね。「学びは楽しいものだ!」って気づいてもらえるような仕掛けを作っている。

そのような活動を支えていく上で、これは欠かせない! といった先生のお気に入りアイテムとかありますか?

 そうだな。コーヒーは飲んでいるかな。煮詰まってきたりしたら一息ついてコーヒーを淹れたり。あとは、チョコレートを食べてます。お菓子箱を用意しているんですよ。昔、学生からもらった分厚い本に見えるお菓子箱があって、閉じていたら本で開いたらお菓子箱です。それは研究室に常備されています笑。

分厚いお菓子箱
先生お気に入りの分厚いお菓子箱

学生時代の学び

少し話が変わるのですが、学生時代のお話をしていただけますでしょうか?

大学は美術大学に行っていたので、とにかくいろんな個性の強いの人が集まっている大学だった。いろんな個性の人がいるっていうことが当たり前の環境だったな。入学当初は衝撃だったが、4年間過ごすことで特殊だった人が普通になった。例えば、高校まで自分は絵が描ける方であると思ってたんだけど、美大だとそうではなくて絵が上手に描けるというのは全員描けるので特技にならない。だから。そういう環境の中で自分の色というのを模索し続けていたかな。

今までの常識が通用しない環境だったということなんですね。そんな中先生なりの答えというのは見つかったのでしょうか?

 絵を描くだけでは太刀打ちできないと感じた。そんな時にコンピュータと出会ってそれが大きかったかな。当時、コンピュータがデザインの世界に入ってくるところだったんだ。僕は、その新しい技術に抵抗感がなかったのでそれを取り入れていこうと思った。
 当時本当にコンピュータが高かったんだよ。ハードの部分で約40万程、ディスプレイはもちろん別でそれで約20万、編集ソフトなどが各20万、プリンターで約20万円で計120くらいは必要だった。冗談抜きで車を買うかコンピュータを買うかっていう状況だったから、敷居がとても高かった。美大にですら全体で2台しかなくて、でもコンピュータを使った講義に参加していたので16人くらいいてさぁどうしようってなった時に覚悟決めてみんなで各々買いました……。だからもうバイトをひたすらしてました笑。美大には当時流行り始めてきたカラオケボックスの内装デザインのお仕事であったり、テーマパークの岩を描いたりなどいろんなバイトの求人が来てたので、それに参加してました。

120万円はとっても高いですね……。それからはコンピュータを使ったデザインを考えるようになったのでしょうか?

 そうだね。そこからは各自やり始めたかな。それまでは、文字と画像を同じ枠の中に重ねようとすると、それぞれを編集して印刷所とかに依頼して重ねるしかなかったのが、パソコンの中で合成というものができるようになったから画期的だったよ。その時にこれは今後主流になってくると感じたよ。だけど、インターネットにはつながってなくて、ローカル環境での編集しかできなかった。日本の中でもインターネット環境につながっているコンピュータっていうのは有数の大学に数台しかなくて、それもメッセージがやっと送れるようになったくらい。アメリカに初期のサイトがいくつかあったけど日本のサイトっていうのはほとんどないっていう状況だった。

インターネットが入ってきた最初の環境にいたんですね。具体的にコンピュータを用いて何か活動などはされていたのでしょうか?

 コンピュータが入ってきて少し経った94年かなアップルジャパンが学生たちを使って面白いことができないかという企画があってそれに参加してみたんだ。ノートパソコンを貸してくれるという話だったからそれに触ってみたくて参加したんだけど結局貸してはくれなかったな笑。けれどもその代わりに、インターネット環境を貸すから何かできることを考えてみてくれって言われた。日本からも発信をしていこうという目的があったみたい。
 そこで初めてwebサイト制作をすることにしたんだ。だけど当時はそもそもwebサイトが少なくて制作方法はもちろんのこと、情報が少なすぎて、コードだけはみれたからそれを見よう見まねで独学でみんなで作ってた。初めて作った時は、できたんだけど挿入したはずの画像が一向に出力されなくて……、当時は9600bpsだからそりゃ出力されないよね。そこで初めてデジタルに多さがあることを知ったよ。制作にあたって、何の情報を載せるべきなのかというのはすごい議論したな。既存のサイトはいくつかあったが、意味のない情報を載せてるのもあって、人に伝える上で、意味のある情報を載せるということはとても難しいんだなと感じた。それが今も学び続けている人に伝えるということに繋がっているかな。

Webサイトがない中でweb制作を行なっていたんですね。美大での発表などではどんなものを作られたのでしょうか?

 卒業制作では、掲示板をwebサイトとして作ったよ。大学に手書きの掲示板は元々あって、美大生ということもあり一つ一つのデザインがとても凝っていたんだよ。募集用紙一つとってもクオリティがとても高くてさ。だけど、それが溢れかえってる掲示板で逆にどんな情報がそこにあるのか分かりづらかった。
 だから、伝えるということを求めた掲示板を作ろうと思ったんだ。情報を整理するということだけでなくて、伝えたいことを一番伝わる形というのを模索し続けた。例えば、バンドのメンバー募集をしているのに文字だけじゃ伝わらないだろう?そこに音声を付け加えることで、よりイメージがつきやすいようにしたりした。それが最後に作った作品になるかな。

すごいですね。お話を聞いている限りまさに新しい時代に携わっていたのですね。

 まさに産業の転換期に携わっていたという感覚はあったね。大学での話ではないのだけれども当時アップルが『Apple Newton』っていうパーソナルアシストの商品を開発したばかりで、そのユーザテストのテスト監督の仕事をしていたんだ。いろんなことをお客さんに言われるんだけれども、結論としては、処理の速さも含めてそれを使う必要性がなかったと感じた。それでもメモと辞書、簡単なメッセージ送信などスマートフォンの先駆けのようなものだったんだよ。その後もノートパソコンであったり携帯電話など新しいデジタルが沢山出てきてとても面白かった。だけど僕はその新しいモノ自体に興味を抱いたというよりも、モノを作るプロセスと、モノを使った繋がり、デザインという方に興味を持ったんだ。それが今の研究と仕事に繋がっていると強く感じるよ。

栗芝正臣撮影写真
デザインを学び続ける先生。好きなカメラで撮った海外の作品。

栗芝先生にとっての「ふつう」。そして今後の野望

それは良い時間ですね! 最後に一つお伺いしたいのですが、先生にとっての「ふつう」とはなんでしょう?

 僕にとってのふつうとは、学びの場にいることかな。自分もそうだし、誰かの学びや発見の場に寄り添っていることが僕のふつうだと思う。実は、野望が一つあって、大学にFablabを作りたいと思っている。カフェもくっつけて、土日は一般開放ができるようにしたい。近くに住んでいる人たちとか生田緑地に遊びにきた家族とかが楽しく新たなものづくりを学べる環境を作りたいんだ。新しい学びの場を作りたい!しかもこれは使う側にだけメリットがあるわけじゃなくて、大学が生田にある意味やネットワーク情報学部がここにあるという存在意義や価値があがると考えている。ただ坂の上にある校舎ってだけでなくて誰でも使える学びの場になる。これを五年後くらいには実現させたいと思っているんだ。

それは壮大な計画ですね! でも新しい学びの場を作るというのは、素晴らしいことですね。実現できることを楽しみにしてます! 今日はありがとうございました。

なお、私たちの『note』では、先行して全ての記事を読むことができます。下記リンクからぜひご覧ください。

あなたのふつうは?note

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