戦国時代、津久井道の登戸にあった屋敷

戦国時代の津久井道を行き交う人々
街道のAI生成イメージ

「江戸道(津久井道)を通行する人が増えたから(風呂屋を)出したんだろうね」と石橋屋酒店(川崎市多摩区)の社長、細埜隆己さん。

江戸時代中期、登戸に風呂屋が登場!》からのつづき

登戸稲荷社
登戸稲荷社

今の登戸稲荷社のところ

津久井道沿いに風呂屋を開業される前は、現在のお店から400m程北西の(字中村)という土地に屋敷を構えていたのだそうだ。その話を聞いて、賑わい出した大山街道の峠に茶店を出して成功した谷本村(青葉区もえぎ野・柿の木台)の石原千代吉さんを思い出していた。細埜さんのご先祖も千代吉さん同様、一念発起して人通りの多い旧津久井道沿いに風呂屋を開業されたのだろう。まさに先見の明、時代の要求を見抜く洞察力と決断力が新たな道に向かわせたのである。

「元々は、今の登戸稲荷社のところ。そこに屋敷があったんだそうです。ざっくり言うと、500数十年前。稲荷社の場所は“元屋敷”って言われています」

500年!…またまた絶句した。石原千代吉さんが茶店を出したのは幕末の話。それを遥かに凌駕する戦国時代とは…ざっくりだとしても、関ヶ原の合戦の100年前。信長や秀吉が生まれた室町時代末期だ。室町時代(特に戦国時代初期)は、関東各地に土着し、周囲の農民を率いて農業経営を行った武士が多かったという。細埜さんのご先祖がそうした武士であったかは分からないが、「元屋敷」という地名が付いているということから、その土地の有力者であったことは想像できる。

要約すると、現在「元屋敷」に鎮座している「登戸稲荷社」は、細埜さんのご先祖が津久井道沿いに移られた後…ざっくり300年前…に他の場所から遷されたということだ。

登戸稲荷社の祭と鏝絵へつづく(近日配信)

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