登戸駅 西側(生田緑地口側)の街があるとき、スッポリと無くなっていた。
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2017年、消えた街!
剥き出しになった小田急線の高架、その手前のだだっ広い更地には、ひと仕事を終えた1台の重機が一服ついているかのようにあぐらをかいて座っていた。
そんな衝撃的な光景を目の当たりにしたのは七年前(2017年)。その二年前(2015年)、登戸で人気のクラフトビール店の取材で訪れたときは、まだ街は存在していた。
路地が入り組んだ駅前の繁華街も、緩くカーブしながら住宅地を貫いていた津久井道の旧道も確かにあった。それが一気に姿を消したのである!開発が行われていることは知っていたが、さすがに衝撃を受けた。
見ると、更地の端っこにまだ数軒のお店がへばりつくように残っている。その中に何度か足を運んだ馴染みの居酒屋「T」があった。(事情を尋ねがてら、一杯呑んでいくか…)店のガラス戸に手を伸ばすと、そこに「区画整理に依り…」の張り紙が貼られていた。
(やっぱりなぁ~ここも無くなっちゃうのかぁ…)
分かってはいたが、ショックは隠せない。が、その先を読んで思わず吹き出した。
「当店は、あと二年は営業して居ります。どうぞよろしく」
助詞の連続によるまさかの「やめない宣言」。思わず(まだやんのか~い!)と、ツッコミをいれていた。これぞ登戸!店主の心意気が嬉しい。
2年後、居酒屋Tは宣言どおり閉店した。それからさらに4年経った現在(2023年)、だだっ広い更地には新しいビルが立ち並び、小田急線の高架はそれらのビルで再び覆い隠された。道路も新しく付け替えられ、ビルには新規の飲食店や会社が入居、ナニ事も無かったかのよう営業している。
再開発計画が1988年に決まる
入れ替わるように、その反対側…東口の駅前に更地ができていた。この一画も小さな商店が軒を連ねていた場所である。ここには、地上38階、地下2階、高さ約146mのタワーマンションが建つという。
登戸駅とはペデストリアンデッキで直結し、駅前の一大拠点として商業施設も充実させる計画だ。第二の「武蔵小杉」を狙っていることは明らかで、2028年秋の竣工を目指す。
じつは、こうした再開発の都市計画が決まったのは1988年(昭和63年)、なんと、40年もの歳月が流れている。事業計画の変更も一度や二度ではない。そんな気が遠くなるほど長かった「登戸土地区画整理事業」も、このタワマンの完成をもって、いよいよ大団円を迎える。
馴染みの風景、馴染みのお店が無くなってしまうのは悲しく切ない。が、どんな街に生まれ変わるのか?!進化の歴史、その最終形をこの目で確かめたい…という好奇心のほうが少しだけ勝っている。
《昭和の街と「百貨店」》へつづく