津久井道は、川崎市を通る六街道の一つで、古くから利用されている。
この記事より、津久井道をテーマにした連載をスタート。
府中街道と交差する四街道
川崎宿六郷の辺りから多摩川に沿って上流へ進み、国府が置かれた府中に達する「府中街道」。
この東西を貫く府中街道に、南から順に 「東海道」「中原街道」「大山街道」「津久井道」が交差する。さらに、東海道川崎宿から、厄除けで知られる川崎大師に至る「大師道」を入れて 計六本だ。(地図参照)
津久井道の歴史と小田急線
一番北を通る「津久井道」は、津久井・愛甲地方でとれた「鮎」や黒川の炭といった特産品を江戸へ運ぶ道としてだけでなく、津久井地方で生産された生糸や絹織物を江戸に運ぶ「絹の道」としても機能していた。
津久井道は、津久井から相模原市の橋本を通って、鶴川、柿生、生田、登戸、多摩川を渡河して狛江、砧を抜けて三軒茶屋で大山街道に合流する。
鶴川から狛江あたりは、小田急小田原線の鶴川駅から狛江駅の鉄道路線のルートに近い。江戸時代以降の街道は、起伏を出来るだけ最小限におさえた平坦な道を最短ルートで造られているので、鉄道もそれと並行して敷設されることが多い。
江戸時代の三軒茶屋
江戸時代、三軒茶屋には大山街道(矢倉沢往還)を使って沼津のわさび・干し魚・茶、秦野の煙草が運ばれ、津久井道からは鮎、炭、生糸…が運ばれてきていた。
現在、若者で賑わう三茶の交差点は、物資の運び人たちでひしめく交通の要衝であった。それを知ってか知らずか、現在商店連合会が運営する情報サイトの名称は《三軒茶屋ドットコム》。
三茶の混雑は、江戸時代から続く伝統だったのである。
津久井城と津久井湖城山公園へつづく