横浜市北部に位置する美しが丘西〜センター南あたりは、かつて山内村だった。
あざみ野駅(横浜市青葉区)から坂を登ると横浜市 山内図書館があるが、この「山内」とは昔の村名なのだ。
石川村と荏田村が合併
山内村は、現在のたまプラーザ、あざみ野周辺地域の「石川村」と、荏田から港北ニュータウン北部の「荏田村」が、1889年(明治22年)に合併して誕生した。地図で確認してもらえると分かるが、北は川崎市と接する美しが丘西から、南は市営地下鉄「センター南駅」周辺までと、半端ない広さの村であった。『山内のあゆみ』(後述)は、その北側である石川村の古代から近代までを通史としてまとめた本である。
祭りの描写の時に紹介したが、石川村には、八つの地区(保木、平川、荏子田、船頭、稗田原、牛込、中村、下谷)がある。谷戸ごとに独立して存在し、それぞれの歴史や文化も微妙に違う。『山内のあゆみ』では、それぞれの地区ごとに、家々の屋号や菩提寺、屋敷神といった概況を紹介し、開発によって変貌していく土地の景観や人々の暮らしなどが詳細に記録されている。
横溝潔 著『山内のあゆみ』について
各地区のページの冒頭に片袖折りで挟み込まれた地図が素晴らしい。手描きで描いた大まかな地図で、東西南北も定まっていなかったりするのだが、自分が生まれ育った村の様子、開発によって消えてしまった風景を、記憶をたぐりよせながら描いた地図は、他では絶対に手に入らない貴重な地元の財産である。
さらに貴重なのは、地元の人たちの声。横溝氏が、インタビューして起こした生の証言が、実名と当時の年齢入りで掲載されていること。プライバシーや個人情報の保護が叫ばれる現在では、絶対に作ることはできない。
それもそのはず、横溝氏は元地域新聞の記者。1975年(昭和50年)に創刊した地域新聞『たまプラーザ』に連載されていた同名の連載記事を加筆してまとめたのが『山内のあゆみ』なのだ。
地道で丹念な取材を重ねて書き綴った文章は、地元に生きた人々の息づかいまで感じさせてくれる。歴史的な出来事を時系列で並べ、申しわけ程度に古文書を載せているだけの、どこにでもある郷土史本と一線を画すのはそのためだ。
青葉区…いや、横浜北部の歴史が、いかに奥深く、魅力にあふれているか!それを教えてくれた『山内のあゆみ』は、自分にとってのバイブルとなり、横溝氏と同じく地域新聞に郷土史の記事を連載するきっかけとなった。
その記事『歴史探偵・高丸の地名推理ファイル』の連載は18年続いた。