地元に鎌倉街道が通っていたことを、このとき初めて知った。坂東武士たちが「いざ鎌倉!」の際に急ぎ駆けのぼった鎌倉への道を鎌倉街道、鎌倉道と呼ぶ。
荏田の鎌倉街道と坂東武士
鎌倉街道は、東海道や中山道のように一本の道ではない。それこそ「すべての道は鎌倉に通ず」というくらい、関東一帯に毛細血管のように張り巡らされている…ということは、関東各地を歩きまわったので、当然知っていた。しかし、そこに動脈となる主要道「上道」「中道」「下道」の三本があること、そして、そのうちの1本「中道」が荏田(横浜市青葉区)を通っていることも、恥ずかしながら知らなかった。
この時の敗北感、歴史探偵としての屈辱が探究心と好奇心に火をつけ、5年後、あざみ野から鎌倉まで実際に歩いて取材し、三年にわたる「地名推理ファイル・鎌倉街道偏」の連載へと繋がっていくことになる。
社前は、旧鎌倉街道に当たり、源頼朝の臣・畠山重忠篤く崇敬せりと云えり
驚神社の由緒書き
続く、「源頼朝の臣・畠山重忠篤く崇敬せり」という文言、こちらは逆に一瞬で何を意味するのか理解できた。
源頼朝の臣・畠山重忠
畠山重忠といえば、知勇兼備、武勇の誉れも高く、清廉潔白な性格が愛され、人々から「坂東武士の鑑」と呼ばれた人物。源頼朝が初めて鎌倉に入ったときも、奥州の藤原氏討伐のときも、そして、京への初上洛の際にも先陣を任されている。容姿端麗、その所作においても、他を圧倒するセンスを身につけていたといわれる重忠、「見栄えがする」ことを大事にした頼朝だからこその抜擢ともいえるが、頼朝から、いかに信頼されていたかという証拠でもある。
また、源義経を慕う静御前が鶴岡八幡宮で舞を披露した際に、重忠が銅拍子の演奏を担当している。音楽の素養にも優れていた。そんな非の打ち所がない重忠だが、頼朝亡き後、武蔵の国の支配をめぐって対立していた北条氏の陰謀によって、一族ともども悲惨な最期を遂げ、義経同様「悲劇の武将」として後世語り継がれている。そのためか、全国に残る「重忠ゆかりの地」も義経に負けてはいない。北は北海道から南は鹿児島、その数200箇所以上。出身地・本拠地の埼玉県65箇所に次いで、鎌倉のある神奈川県には43箇所もある。その多くが鎌倉街道沿いだ。
先ほどの荏田を通る「中道」は驚神社から直線で500mほど東を通る。北鎌倉を出て、大船、戸塚、鶴ヶ峰、中山、川和を通って荏田。さらに北上して東北へと向かう主要幹線で、重忠が先陣をきって奥州へ向かった道でもある。
さらに、荏田から驚神社の脇を抜けて、たまプラーザ方面に向かう枝道もあった。その枝道は、新石川の丘陵地から、現在のたまプラーザの団地を抜けて、美しが丘三丁目と四丁目の間の尾根道を通り、宮前区の菅生、蔵敷、生田緑地へ至る。さらに、そこから府中街道に合流して武蔵国府へと続いていた。
重忠がその枝道を通ったという確証はない。ないが、生田緑地に重忠の従兄弟・稲毛三郎重成の居城・枡形山城があることから、国府から中道への抜け道として通った可能性は高い。その途中、驚神社に立ち寄ったとしてもおかしくはない。
なぜ一瞬で理解できたのか。
鵯越の逆落とし
源平合戦におけるハイライトの一つ「一ノ谷の戦い」。この時、総大将であった源義経が、平家の陣の背後の崖を駆け下りて奇襲をかける…という作戦を行なった。世に有名な「鵯越の逆落とし」だ。
しかし、峻険な崖を駆け下る東国武士の中にあって、「馬がケガをする。可哀想ではないか」と、重忠ひとりは愛馬・三日月を肩に背負い、ゆるゆると崖を下っていった…というエピソードがある。
自分は、その話を重忠の史跡が点在する埼玉県へ行った時に知った。埼玉県深谷市畠山(当時は川本町)にある「畠山重忠史跡公園」には、大きな馬を背負う重忠の像も建っている。
「馬を背負う」そんなことが出来るわけがない…そう思われる人もいるだろうが、当時の馬は肩までの高さが130~140cm、現在のサラブレットよりも30cmほど低いのだ。つまり、ポニーくらいの大きさ。ポニーだって簡単には背負えない。重忠は力も半端なかったのだ。(公園の像はどう見てもサラブレットだけどね)
馬を大切に思い、こよなく愛した畠山重忠。その彼が「篤く崇敬」していた神社。すなわち、馬を敬うがひとつの感じとなって「驚」なのだ。もしかすると、最初は「敬馬神社」だったのかもしれない。
ちなみに、「驚」の漢字は、馬がびっくりしたときに、前足を蹴り上げて棹立ちになる。その姿が天を仰いでいるようなので、「仰」と「馬」を組み合わせて出来たという説がある。
『鎌倉殿の13人』重忠役は中川大志さん
畠山重忠は、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場している。謹厳実直で誠実な若き日の重忠を中川大志という若手の俳優さんが演じておられる。もちろん、驚神社は出て来ないが、地元にもゆかりがあること。先ほど紹介した鎌倉道を彼ら坂東武者が駆け抜けていった…なんて想像しながらドラマを観れば、面白さも倍加すること間違いない。
今回の「あざみ野編」は驚きの連続であった。自分で書いていて驚く。さて、「驚」という文字を何回使ったでしょう?なんてクイズができそうだ。
だが、あざみ野の「驚」はこんなもんじゃない。まだまだ続くのである。次回「徳川家ゆかりの土地」に乞うご期待!